2022小金井公園桜

今、目の前にある「幸せの図」

会社の月末の支払いを無事終え、急に思いついて、即席弁当をこしらえて小金井公園へ。夫を誘うも、既に昼ご飯は食べ終わったとつれなくお断り。
小金井公園で私が一番気に入っている場所は、外れにある二本の桜。この二本はパートナーだろうと勝手に思っている。そのすぐ脇にあるイロハモミジの下が、私がいつも過ごす場所だ。
なにかあると、ここへ来る。ぼーっとしたり、体操をしたり、読書をしたり、ビールを飲んだり、泣いたり、夜空を眺めたりする。
満開の桜の下では、初老の男性二人が、音楽を流しながらほろ酔いで映画音楽談義。若い女性二人組は、お互いのメイクをし合っている。中年の女性は熱心に写生。老夫婦は、二人で並んでお昼寝。そして木の上には、ヒヨドリが数羽戯れている。
ちょっとぜいたくに、缶のスパークリングワインなんて飲んだからだろうか。なんだか涙がどばどば出てくる。
これはまさに「幸せの図」だな。
そう思った次には、丸木位里さん、俊さんの「原爆の図」が瞼に浮かび、尊敬する被爆者の橋爪文さんを思い出し、そしてウクライナの光景が浮かんだ。
最近、ふと思い出したことがある。20歳の時、特別授業で年に数回来てくださっていた渡辺和子先生(当時、ノートルダム清心女子大学学長)のお話しである。
アメリカの修道院にいるとき、単純作業をしていたら、厳しい先輩シスターに何度もやり直しを命じられた。それがなぜなのかわからず、意地悪をされているのかと思っていたら、そのシスターから言われたのは、たった小さな動作ひとつにも祈りを込めること、テーブルにお皿を並べるときにも、そこに人々の幸せ、平和の祈りを込めなさいと教えられたという。
今、目の前の風景を、足元の土を、そこにある幸せを噛みしめながら、自分のひとつの行い、言葉ひとつひとつに祈りを込めることが、巡り巡ってどなたかの慰めとなりますように。