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ここのところの日々のこと、身体のこと

最後まで家にいたい、という父の希望を叶えるべく、これまで一手に介護を引き受けてくれていた母にも限界が近づき、私も自分の生活体系を変えて、自宅と事務所、実家を自転車でぐるぐる廻る毎日を送っている。
自宅で、日常の延長で、家族が死を迎えるために何をしたらいいのか、今多くのことを学んでいる。
2月に痙攣を起こして錯乱状態になり、救急搬送された。合併症で心不全を何度か起こし、日々注意していたが、あっという間にまた肺に水が溜まってしまっていた。水を抜く処置をしても、錯乱状態が続いていた。主治医は、私たちの希望を知っていたので、このまま入院せずに帰宅した方がいい、と言われた。その時はじめて、怖いと思った。この状態で、家で面倒が見られるだろうか。できれば病院にお任せしたい、という思いがちらつく。でも確かに、このまま入院したら、きっともう家には戻ってこられなくなる。家で最後まで引き受ける、とはこういうことなんだ、と思った。この時、あらためて覚悟が決まった。
それからは、日々の血糖値、摂取水分量、血圧、排尿・排便、体温、傷口のチェック、投薬は今の体調に合っているかに目を配った。自宅療養でできることはたかが知れているが、それでもできるだけ穏やかに、痛み少なく過ごしてほしい。これらは、入院していたらすべて病院が管理してくれることだが、日々の変化に細心の注意を払いながら、母とああでもない、こうでもないと色々と考えたり、試したりすることは、けっこう楽しい。
病気や怪我をすれば、病院や医師、薬の力を借りることもあるだろう。でもあくまでも、主体はその体である。どんなに治療を受けていても、薬を飲んでいても、ワクチンを打ったとしても、それを受けて生きようとするかは、その体そのものである。外からのものが体を動かしてくれるのではない。
私はずっとずっと不思議に思ってきた。これだけ新型コロナウィルスに社会が翻弄され、今こそ自分たちの肉体や食事、生活に向き合ううってつけの時なのに、未だマスコミで取り上げられるのは、死傷者数やワクチン接種、自粛要請、除菌消毒といったことばかりである。
今この時に、体の内なる力を知ることや、私たちが真に健康的に生きるために、健康的な死を迎えるために、何をしなければいけないのかを、もっともっとみんなで語り合おう、考えよう。そしてお医者さんとも、もっともっと気軽に、体の話ができたらいいな、と思う。