大久野島

想像力と決意

昨日手元に届いた「市民の広場 会員通信4月号」。尊敬する友人、松尾京子さんが共同代表をつとめている。街の政の主体は、わたしたち市民である、ということをいつも思い出させてくれる。通信に掲載されていた松尾さんの文章を、ご本人に了承をいただき、下記に全文転載させていただきます。
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「市民の広場 会員通信(2022年4月)」より
Imagine -想像してごらん  松尾京子(共同代表)
 最近、ある国会議員のポスターに「国を守る」と大書してあるのを見かけました。-ちょっと待って、私たちは私たち(のいのちや暮らし)を守るために議員を選んでいる。国を守るためじゃない。
 その「私たち」は、憲法の中で「国民」と表記されています。そして、国民とは民(たみ)のことであって国(くに)のことではありません。
 あんなに嬉しそうなドヤ顔で「国を守る」なんて、大丈夫なんだろうか?-イエイエ私はドヤ顔の議員を心配しているのではありません。「国を守る」なんてドヤ顔で書かれちゃって大丈夫なのか私たち=国民ということなのです。
 今、ウクライナでは、男たちは妻子を国外あるいは市外に逃がし、自分は「国を守る」ために残るという選択をしている(させられている)そうです。また、あるウクライナの女性は、「何もかも失った。-でも、私が何か悪いことをしましたか?」と。
 私にとっての平和の情景は、父親とお風呂に入ってホカホカの子どもたちと一緒に、布団にくるまって絵本を読む時間です。
 -あのウクライナの女性が失った「何もかも」の中に、子どもと絵本を読む時間もあったのかもしれない。
 「国を守る」ためには、正義(大義)と敵と武器が必要である。
 「民を守る」ために必要なものは、私が平和に満たされる時間があるように、彼の国のひとにもそれがあるだろうという想像力と互いにそれを侵し合わないという決意である。どちらも私たちひとりひとりが持てるものだ。ドヤ顔の議員-「国を守る」ことを己のミッションと考える人-には無いものだ。
 しかし、私たち民が持たないものを議員が持つことはない。彼等も私たちの中のひとりなのだから。
 今年も7月に参院選。その前に4月には松山市議選もあります。誰を選ぶかは、もちろん大事なことですが、私たちひとりひとりが他国の人々への想像力と互いの生存権・幸福追求権を侵さない市民となることが、やがて議員の質を高めます。
 そのために今年度も市民の広場をご活用ください。
写真:大久野島 長浦毒ガス貯蔵庫跡
大久野島