ありがとう貯金
父の容態が、また著しく悪化してきた。明け方、母の電話で起こされ、実家に駆けつけると、周りの人がみんな、自分を貶めようとしている、殺される、陰謀だ、と激しくまくしたてている。目には怒りの炎が燃えている。夢よりも、もっとリアルなもうひとつの世界と行ったり来たりしているようで、虚ろな目をしながら、見えない相手に向かってずっとしゃべり続けている。それに付き合っていた母も、疲れきっている。
ふと正気に戻る瞬間があると、どうしてこんなことを言ってしまうのか、と頭を抱えて落ち込む。心臓が弱り、肺にも再び水が溜まってきていることが確認され、投薬し続けてきて腎臓の機能も限界にきているのだろう。全身が弱っていく中で、脳はフル回転しながら、もうひとつの世界を生きているようだ。数日前には、「人生をもう一度生き直しているみたいだ」とつぶやいていた。
1月に病院から退院してきたときも、意識は混濁し、かなり弱っていたが、家族と生活するようになって、驚くほど元気を取り戻し、波はありながらも、明るい毎日を過ごしてきた。
ほとんどのことが自力でできなくなってしまった父は、どんな些細なことでも、誰かに何かをしてもらうたびに、必ず「ありがとう」と言った。わたしは、「ありがとう」のひとことが、これほどまでにパワフルで、魔法の言葉だったことを初めて知った。たったひとつのありがとうが、すべてを帳消しにして、心を満たしてくれる。身体の底から力が湧いてくる。何度もそのありがとうに、涙が出た。弱さを受け入れた人は、周りの人の愛を引き出していく、ということを、身を以て教えてくれている。
その父が、今は暴言を吐いている。でも、これまで私の中にたくさん貯まってきた「ありがとう」貯金が、心の中でまた、ありがとう、と繰り返してくれる。
正気に戻った時、「もう残りの時間は少しみたいだ。家族と別れるのが辛い」と言った。「たぶん、また会えると思うよ」というと、「そうなのかな」とつぶやく。「死は終わりではないと私は思ってるよ」というと「そうなの?」と目を見開いた。
15年前、母は祖母を3年間介護して、家で最後を看取った。祖母は、なんでも自分でやる人で、人に何かをしてもらうことよりも、いつも自分が人に何かをしたい、と思っている人だった。人に頼る、甘えることをしない、できない人だった。80歳を過ぎても、娘や孫に会いに、海外に出ていった。おっきくて、まあるくて、ニコニコ顔が最高にかわいくて、でも頑なで、太陽のような人だった。その祖母は、脳梗塞で半身麻痺となり、自分のことが何ひとつできなくなった。母に身を委ねて、3年の月日を過ごした。
父は、人を不快にさせたくない人だった。人が大好きで、社交的で、ジョークを飛ばして、人を楽しませたい人だった。それが、今は、自分が言いたくもない暴言、相手を傷つけるような言葉を止められずに苦しんでいる。
祖母も、父も、自分が一番こだわっていること、大切にしてきたことを、最後に手放す時間が用意されたようだ。そういう時間の猶予を与えられたことは、本人にとっても、伴奏している家族にとっても、苦しいけれど、本当に幸いなことだと感謝している。
ひとつひとつの命が、最後を迎えるために必要な固有の時間がある。それを第三者が故意に断ち切ることは、どれだけ罪深いことだろう。ひとつの命が終わりを迎えることは、これほどまでに一大事だというのに。これまで一体どれだけの残酷な死が、わたしたちの足元に積み重ねられてきたのだろう。
今、父が過ごしている時間を、私も隣で味わい尽くそうと思う。
しなければいけないことが山積みなのに、なかなか自分を切り替えられない。心の整理のために、ここに書きました。父も母もインターネットをしないことをいいことに。ごめんよ