映画『祝の島(ほうりのしま)』

纐纈(はなぶさ)あや 監督第一回作品

原発予定地から
朝日が昇る
島のいちにちが
今日も始まる

<監督のことば>

朝、祝島で目を覚ますと、まず天気の確認をする。部屋を出て、浜に向かって路地を下りる。途中、橋本家の玄関を開けて、おはようの挨拶。「煮物作ったから持っていきや」いつも台所に立っている典ちゃん。奥から久ちゃんも出てきて「バイクのパンク、直しといたで」。浜に出ると、ちょうど朝便の定期船が近づいてくる。よし、海は穏やかだ。背後から「おっはよう!」と威勢のいい声。振り向くと民ちゃんが愛車のバイクでぶんぶん通り過ぎていく。波止では、漁師の信ちゃんが網を片付けている。「今日はどうだった?」と聞くと、ニヤリと笑って生簀の大きなヒラメを見せてくれる。ダッダッダッダッダッ。見上げるとテーラーが山道をあがっていく。平さんだ。よし、伊藤の家に顔を出したら、棚田にあがろう。

この朝の時間が私は大好きだ。それぞれの営みが粛々と進んでいる気配を感じる。自分の五感に入ってくるものすべてが何かのサイン、予兆で、それらがつながり、巡り巡ってまた自分自身に還ってくる。島に通い始めた頃は、このつながりの中に自分がいることが嬉しくてしょうがなかった。

祝島は、人が住むのに決して恵まれた自然環境とはいえない。掘っても掘っても出てくる岩を切り出し、台風が直撃するたびに家を直し、潮の速い海に漕ぎ出す時は、いつだって命懸けだった。自然の中では、人の力で得られるものなど、たかが知れていた。

平萬次さんの祖父、亀次郎さんはこう言ったという。「人間だけだ。自分の住処を自分で作れないのは。野に生きるすべての生き物が自分の住処を作れるというのに」。そうして自分で作った小屋を住処にして、子や孫の代までも米で困らないようにと巨大な棚田を築き上げた。しかしその一方で、曾孫の代になったら、この棚田を耕作する者はいなくなるだろう、と予言していたという。再び原野に還ることを知りながらも、毎日血の滲むような思いで岩を動かし続けた亀次郎さん。平家の棚田は、自然界において人間は小さな生きものでしかないことを知り尽くしていた亀次郎さんが起こした奇蹟である。対岸に建設されようとしている原発が、人間の分を見誤った文明の、いかに浅はかで愚かな産物であるかを思わずにはいられない。

古代、瀬戸内海を航海する船が危難に瀕したとき、祝島に向かって一心に祈ると、島は霊光を発し行く先を照らしたという。自然の中でつましく暮らし、様々な痛みを抱えながらも、28年もの間、原発建設反対を訴え続けてきた島の人々は、力強く、温かく、そして潔い。混迷する現代社会において、祝島とそこに暮らす人々の存在は、よりいっそう輝きを増し、私たちが進む方向を照らし出す、まさに灯台となるだろう。その光に導かれ、本作は完成した。

天と地と海をつなぐ祝島に、今日も彼らは暮らしを紡いでいる。

<スタッフ>

監督:纐纈(はなぶさ)あや
プロデューサー:本橋成一
撮影:大久保千津奈(KBC映像)、
編集:四宮鉄男、音響設計:菊池信之、ナレーション:斉藤とも子
絵「祝島」:西村繁男、グラフィックデザイン:森デザイン室
パンフレット編集:近藤志乃、製作デスク:中植きさら
制作:石川翔平、製作統括:大槻貴宏

協力:祝島のみなさま
KBC映像、祝島島民の会、映画「祝の島」を応援する会

製作:ポレポレタイムス社