Guanjyu

韓国でのこと

ソウルで41歳の誕生日を迎えた。
(祝島のまーちゃんから42歳おめでとう!というメールがきて、ありゃー、また私は年齢を勘違いしていたのかと焦ったが、確かに41歳であった。ちょっと得した気分。)

この旅で、まだ漠然とだが、おっきな目標のシッポのさきっぽがチョロッと見えたような気がした。もしくは今まで全然気がついていなかった扉が、自分の目の前にあったことがわかったような気がした。そんな発見をしたこの旅そのものが、誕生日プレゼントだったように思う。

上映会は、おかげさまでほぼ満席となった。上映が終わるのを待つ心境は、日本で上映会をしているときとは全く違った。韓国でこの映画がどんなふうに見られ るのか、どんなことを感じていただけるのか、まったく予測がつかない。こういうときに、自分がいかに、日本という国での一定の共通認識を前提として、映画 を作っているのかを自覚する。自分の意識は、まだまだ狭く近視眼的、そして何かを前提にものを見ているのだと痛感する。

お客様の感想を直に聞くことはほとんどできなかったが、多くのアンケートが集まった。国際交流基金で翻訳をしてくださるとのことで、ありがたい。今日、交 流基金の担当者の方から連絡があり、昨日の2度目の上映も満席だったとのこと。おー、観た人がまた紹介して下さったのだろうか。嬉しいね!

後半、ソウルから光州へ移動したのは、11月にオープンしたアジアカルチャーセンターを訪れるためだった。オープニング記念の展示の中で、Angela Melitopoulsというドイツの映像作家が「Refrain」と題して、済州島、辺野古、祝島で抗議行動をしている人々を映像でつなぐインスタレー ションを発表している。そこに祝島の映像を提供させていただいていて、その作品を見るための訪問だった。(ちなみに映画「祝の島」も展示室内で、上映して いただいている。)

あらためて、ドキュメンタリーとしての映像表現ってなんだろう、と考え続けている。もっともっと、自分の目のレンズを磨かなければ。そして自分でも気がつ いてないフィルターを外す、あるいはつけていくことに、チャレンジしていかなければ。自分の内側での破壊と創造。それをあきらめずに繰り返していくこと。 そんなことを思いながら、41歳をスタートした。