上映会翌日棚田

光溢れる世界へ

長い、長い心の旅に出ていた。
この10年間、私は自分の内側にある荒れ果てた世界を、ずっと歩いていた。自分を苦しめる自分から逃れられなかった。様々な抵抗を試みたが、そのうち気力もなくなり、ただただ時間が過ぎ去っていった。それでも、ドキュメンタリーはやめられず、自分が魅かれる人たちのもとへ足を運び続けた。でも、撮っても、撮っても、その映像と向き合うことはできなかった。そこに映し出されるものに、心を寄せる力がなくなっていた。色を失ってしまったようだった。
全部捨てて、逃げてしまいたいといつも思っていた。でもできなかった。映像で関わっている人たちをがっかりさせたくない、そこに見えてくるはずの世界と出会えなくなると思うと、最後の最後でいつも、あきらめたくない、と思った。
家族や友人たちに助けてもらいながら、少しずつ、少しずつ、自分の中にあるものを言葉にし、自覚し、許し、受け入れることを繰り返した。外に向けての文章は書けなくなった。何を書いても嘘になってしまいそうだった。
映像を5分見る、10分見る、調子が出てきて一日没頭すれば、その揺り戻しで一週間なにもできなくなる、そんなことの繰り返しだった。
『里守人と馬頭琴』の116分は、果てしない道のりの末に見えた世界だった。
5月24日は、地元那珂川町のみなさん、そして遠路駆けつけて下さった方々の温かい思いに包まれた上映会だった。この日を迎えられたことが夢のようだった。
打上げを終えて、廣田さん宅でお布団を敷いて、その上でみんなと話しながら、もう苦しまない、と声に出して自分に言った。長い長い時間、こんな状態の私に、廣田夫妻も、美炎さん、前田さんも何も言わずにここまで付き合ってくださった。
映画が完成する頃、夫の石井が「あやが普通に戻ってよかった」というようなことを言った。その時にはじめて、この10年、ずっと隣で私を見てきた彼も、どれだけキツかっただろうかと思い至った。
上映会の翌朝、茂さんの棚田へ行った。ネムノキの根元に腰をおろした。鳥たちは忙しくおしゃべりし、生きものたちが蠢き、あたりは光り輝いていた。吹き抜ける風に、たくさんの声が聴こえるような気がした。今、なぜ私はここにいるのか。この地にご縁をいただいたのか。
光に溢れたこの世界を再び見ることができる喜びを、私はいただいた。まるで1000年の時が流れたようだった。
※5月24日の那珂川町完成上映会は下記から当日のダイジェストをご覧になれます。
上映会翌日棚田花