映画が公開されてからのこと
「ある精肉店のはなし」が今年度の文化庁映画賞 文化記録映画部門大賞をいただくことになった、という知らせをいただいた時、全身からスーッと力が抜けていくようでした。
ほんとうによかったな…、と思いながら頭に浮かぶのは、北出さんご家族や地域の方々の姿でした。大きな覚悟を持って、作り手の私たちを信頼して、この映画製作に協力していただいたその思いに、目に見える形でひとつお返しできる、そんな思いになりました。
私には、いつも気になっていることがあります。それは、映画を作ったことによって、 そこに映し出された方々の〝今〟にどのような影響を及ぼしてしまっているのか、ということを。それは、プラス、マイナスの反応に関わらず、映画を作ったこ とによって、それまでの流れを何かしら変えてしまった、という罪悪感ともいえるようなものでもあります。初めての作品だった『祝の島』では、「映画のパン フレットを地図代わりにして、島に来る人がようけおるんで〜」と言われて、とても嬉しいのだけれど、でも手放しで喜べない複雑な思いになって、自分でもそ の気持ちをどう消化すればいいのかわからずに、いっときものすごく落ち込んだのでした。
「ある精肉店のはなし」も、映画を観て感動しましたといって、北は北海道から、南は沖縄まで、遠路はるばる北出精肉店を訪ねていらっしゃる方が実にたくさんいらっしゃいます。その報告を受ける度に、私はドキッとします。とっても嬉しいことなのだけれど、でもひとりひとり、丁寧に対応してくださっているであ ろう北出さんや地域の方たちのことを想像しては、申し訳ない気持ちになってしまうのです。
先日、北出新司さんと一緒に上映会に参加した帰りに、おもわずその思いを口にしてしまいました。新司さんは朗らかに「まあ、いっときのことやし。それにみんなで毎回、楽しんでるで。いろんな人おって面白いしな。それに映画があってもなくても、人はみんな変わっていくんやから」と…。今まで、何度となく包み 込んでいただいてきた温かさ。なにがあってもだいじょうぶ、という深く根を張った懐の深さに、私はまたしても救われるような思いでした。
新司さん、昭さんは、映画のことをきっかけに、講演やワークショップを依頼されることも多く、いっそう忙しく立ち回っています。「忙しいね。だいじょうぶ?」と聞くと「差別をなくすことに命懸けてるさかいにな」と昭さんは明るく答えるのです。
人と人とが出会うということは、その瞬間から何かが変わっていく、ということなのだろうと思います。さらには〝生〟の本質とは、連続する変化そのものであ るのだろうと思います。変化は喜びでもあり、恐れでもある。私の中の映画を作ったことによる恐れは、これからも消えることなく、右往左往し続けていくのだろう、と思います。
と、なぜこの時に、こんなことを書くのかはわかりませんが、でもとりあえずはやったー!なのであります。
応援してくださっているみなさま、映画を観てくださったみなさま、この場を借りて、あらためて感謝申し上げます!!
纐纈あや