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このだし、しょうゆの一滴に想う

二日前も、昨夜も、友人たちと飲みながら、いつしか話題は〝和食〟〝だし〟のことになり、そして柴田監督の「千年の一滴 だし しょうゆ」の映画についてとなった。

話しは遡るが一年ほど前、日本の「和食」が世界無形文化遺産に登録されたというニュースを聞いた時、自分とはかけ離れた遠いところの話しを聞いているよう な気分だった。私が普段の暮らしの中で口にしている食事のことではなく、いわゆる三ツ星の料亭で出されているような“和食”を指しているのだろうと勝手に 思い込んでいたからだ。

そして、新年明けて、ポレポレ東中野で柴田昌平監督作品の「千年の一滴 だし しょうゆ」を観た。観ているうちに、次第に胸が熱くなり、そして心震えた。 人々がこの日本の風土の中で、毎日毎日、生きることに向き合い、食べものを獲得し、自然界の見えざる力を読み取り、智慧を働かせ、育み、積み重ね、引き継 いできたそれが、私が日々、何気なく口にしているだしやしょうゆの一滴になっているのだと。その感動が、身体の底から湧き上がってくるのを感じた。

趣向を凝らした美しいカットの連続から、このひとしずくに千年、いやそれ以上の時間の連なりが凝縮されているのだということが、余すところなく表現されて いく。先人たちへの敬意を込めたワンカット、ワンカットに柴田監督の執念を感じた。この作品は日本の食をテーマにしたドキュメンタリー映画の代表作となる のだろう。この映画によって自分たちが日々いただいている和食が、先人たちが汗水流して築き上げてきた私たちへの遺産であることに思いを馳せよう。

映画を見終わって、私が強烈に興味をそそられたのは、映画に出てくる生産者たちは、日々、どのようなものを食べているのかということ。羅臼でひとり黙々と 昆布を拾うばあちゃん、家族総出で昆布をとる漁師一家、嬉しそうに鰹節の音色をきかせてくれる職人、森と共に生きている椎茸とりのばあちゃん、みなさんそ れぞれ、日々どんな食卓を囲んでいるのだろう。それを想像しながら、いっそう楽しんでいる。

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