tane

タネはいのちの根源

今日の降りしきる雨が、地震の影響が続く関西圏の方々に何事もないことを祈ります。

二日前の東京新聞社説に種子法廃止について取り上げられていました。私も昨年の4月、廃止される前後から、身近な友人を通して、初めて教えてもらうことが多く、「種」という自分がこれまでもこれからも、生きていく上でなくてはならないものなのに、どれだけ無知だったかを思い知りました。

下記、社説に書かれていた印象的な記述と合わせて、最近考えていることです。

第二次大戦末期に、米や麦は一粒でも多く食用に回さなくてはならなくなり、種を取る余裕がなかったことが、戦後の食糧難を一層深刻にしたといいます。そして1952年にサンフランシスコ講和条約が発効された翌月に、日本は主要農作物種子法を制定しました。対象は稲、大豆、はだか麦、小麦、大麦。それに基づき、都道府県に種子の更新、開発と供給が義務化されました。

しかし2016年に国が定めた「農業競争力強化プログラム」には、<地方公共団体中心のシステム>である種子法が、民間の開発意欲を阻害していたとし、そこからいっきに種子法廃止の流れとなっていきます。これは、わずか八社で世界の種子の売り上げの約八割を占めるというモンサントやデュポンなどの海外の大資本が参入できるようになることを意味します。

先日、種の研究をされているロマンアルカラ佳奈さんのお話しを伺いました。素晴らしいお話しでしたが、中でも衝撃的だったのは、この100年で、私たちはそれぞれの野菜の品種の約9割を失ってしまったことを聞きました。私たちの想像も遥か及ばないような長い時間をかけてこの地球上で更新され、旅をしてきた様々な種子を、私たちは地球時間でいえば、100年という一瞬ともいえる間に急激に失ってしまったという事実を聞いて、愕然としまいた。間違いなく、確実に、私たちは種子の多様性を失っています。そして、これは種子だけのことではないと思いました。さまざまな生物も、そして私たち人間社会の中でも、急激に多様性を排除しつつあることに危機感をおぼえます。

『そもそも種子は命そのもの、命をはぐくむものである。だから「みんなのもの」だった。』

という社説の一文を読みながら、祝島のおばちゃんの言葉を思い出します。10年前の話しになりますが、世間の物価がどんどん上がっていく中で、ひじきは値上げしないのかと聞くと「わたしらも海からいただいているもんだからね。値段をあげるのは申し訳ない、思うんよ」と。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018061802000132.html