50年の出来事 その2
もうだいぶ前のことのように思えて、家族で共有していたLINEノートを読み返しながら、時間を巻き戻す。
家で介護していた父の容態は、極限にまで達した。足の潰瘍は悪化の一途を辿り、呼吸はさらに苦しく、意識は混濁しながら、常に痛みを訴え続けるようになった。ここにいるけど、ここにいない。もうひとつの世界に行ってしまっている。モルヒネ系の痛み止めを使うようになっても、2回くらいまでは速攻で効くのだが、それ以降は効かなくなる。さらに強い薬を処方してもらって、薬局に走る。またすぐに効かなくなる。薬局へ走る、の繰り返し。薬が万能なわけではない、でも薬を頼る以外に手立てがない。そんな状況がやりきれない。それでも走るしかない。
父が壊れていくのを見続けるのは、私たちも限界だった。痛みのコントロールも、後手後手にまわり父の体に負担がかかるばかりのように思えた。家族で話し合い、入院してもらうことに決めた。それが最後の別れになってもしょうがない、と覚悟した。少しでも楽になってほしい、その一心だった。
毎日のようにお世話になっていた薬剤師さんに、明日から入院させることになりましたと報告すると、ここまで家族の方がされたのだから、お父さんも感謝していると思いますよ、という思いがけない言葉に、おもわず涙がこぼれた。
明日、病院へ連れていくという日は、長い長い夜だった。父は何時間も半狂乱で叫び続けた。発する言葉の様子から、どうも自分の兄と自分の息子(私の兄)と3人で、戦場をさまよっているようだった。二人の名前を叫びながら、銃を取れ!逃げろー!足を切られる!切られる!やられるー!やめてくれ、やめてくれー!声の響きは、死の恐怖に満ちていた。横に寝ていた私は、怖くて怖くて、震えながら、隣にいることを気づかれないように息を潜めた。今、父は戦場にいる。そして、彼の体の中も、壮絶な戦場になっているイメージが湧いた。
国と国、人と人との間に起きる「戦争」だけが戦争ではない。戦争は、人の心の内でも、体の内でも起こりうる。
これから私は、いかに自分の中に平和を築いていけるのか。そうだ、そういうことだ……。夜明けを迎えたとき、そんな思いが私の中に残った。
翌日、病院で検査を受けると、血液検査の数値だけ見れば、生きているのが不思議な状態、と告げられた。また必ず会おう、と強く念じてストレッチャーで運ばれていく父を見送った。4月22日のことである。あと2日で、両親は結婚55年を迎えるという時だった。
写真:富士吉田の道の傍らで