50年の出来事 その3
翌日、病院に荷物を届けた。看護師さんから様子を伺うと、父の意識はしっかりしているが、足がかなり痛いようで、痛み止めを飲ませたとのこと。でもその痛み止めは、家ではもうとうに効かなくなっていたものだったので、もう一度家でどのような状況だったのか、言い落としていることがないか慎重に伝えた。家のベッドで、幻覚と現実を行ったり来たりしている時も、壁に貼った家族の写真を見ては正気を取り戻していたので、目に入るところに貼って欲しいと写真を預ける。
面会できないことは、どれだけ入院している本人にとって辛いことか。コロナ感染対策でお見舞いが制限されてから今現在まで、入院している患者とその家族や近親者にどれほどの影響があったかを想像すると、暗い気持ちになる。
私は22歳のとき、急性感染症にかかり、おそらくその後遺症で平衡感覚を失い、一ヶ月入院したことがある。脳も目もグラグラ揺れ続けて、吐き気が止まらず何も食べられない。何かを見たり聞いたりすることも気持ち悪くて、何もできない。ただただ、ベッドで天井を見て過ごした。奈落の底に落ちていくような、絶望的な気持ちになっていく。そんなときに、ひょっこり現れる母の姿を見ては、正気を取り戻した。母は一日も欠かさずお見舞いに足を運んでくれた。母の顔を見ると、普段の自分を思い出す。いつもの感覚がよみがえる。こんなにありがたいものなのか…、救われる思いだった。
昨年、父が救急車で運ばれて入院になったときも、面会できないというのに、母は毎日のように病院へ通い、看護師さんに様子を聞きながら、何かできないかといつも考えていた。リハビリが始まると、病室からリハビリ室に移動する時を待ち受けて、父と一緒にエレベーターに乗り込み、二言、三言会話をする、ということを続けた。
4月26日、担当医師と今後の相談をする。血液の炎症反応は高いままで、抗生物質の効果は見られない。足を切除するにも、今の状態だと全身麻酔が使えないので難しい。抗生物質の投与は、在宅でもできるということで、訪問医と連携をとって準備が整い次第、家に戻ってもらうことを決めた。
医師立ち会いのもと、病室にいる父と再会した。丸くうずくまって小さくなっていたが、声をかけると顔を上げ、声を発した。手を握ると握り返す力は、まだ強かった。だいじょうぶ。ここでは父は死なない、死ねない。一日も早く準備を整え、家に戻ってきてもらおう。家族みんなでまた奮起した。