本橋さん文字

この世界は…

本橋さんが亡くなったという報せを受けたとき、涙は出なかった。もうだいぶ前から覚悟をしていた。
昨年9月下旬に諏訪の病院で、久しぶりに本橋さんにお会いした。肺炎でその夏はかなり危険な状態だったと聞いていたので、顔さえ見られたらという気持ちだった。
「本橋さん、私のこと、覚えてますか?」とおそるおそる聞くと、絞り出すように「忘れる、わけがない。。。」
呼吸も苦しそうで、うつらうつらしていた。その後は、一方的に話しかけた。驚いたのは、本橋さんはピッカピカだった。まるで後光が差しているように光り輝いていた。本橋さんは病人ではなく、あの本橋さんだった。きっと今、この不自由な身体の中でも、間違いなく本橋流にこの状況を面白がって生きている、と思った。そして、ここまでのご家族の献身的な介護の日々を思った。
「プロデューサーがいなくて、ものすごく苦労しています。」と言った時に、本橋さんの目の奥が、確かにキラッと光った気がした。
12月20日に本橋さんがこの世界を旅だったと聞いても実感のないまま、1月、ポレポレで追悼上映があった。私は観たくなかったから、行くつもりはなかった。でも前日の夜になって、ふとやっぱり絶対行っておかなければいけないと思い直し、『アレクセイと泉』の上映に駆け込んだ。逃げ出したいような気持ちで席に着こうとしたら、隣に土井君が座っていて、救われる思いだった。
何十回と見てきたワンカット、ワンカット。光の陰影、空気感、村の音の響き。アレクセイの声。そうだ、そうだ、そうだった。あとからあとから泉の水が湧きだしてきて、その清水は私の身体と心の奥の奥まで沁み込んできた。そして、長いこと自分の奥の奥の手の届かないところにしまって冷凍保存していたものが、いっきに溶け始めた。
観終わった後、崩れ落ちてしまいそうで、たまらなくて、土井君を引き留めて、ポレポレでビールで献杯した。アレクセイ、本当によかったね、と話しながら、言葉を出そうとする度に嗚咽してしまいそうだった。
お別れ会の前日、ポレポレのOG、OB達で集まった。みんなに会うのは、ちょっと怖かった。自分がどうなってしまうのか。みんなの顔を見た瞬間、いっきに時間が巻き戻って、心からホッとした。本橋さんのことをみんなで話せる。ああだったね、こうだったね、と話しながら、それぞれの本橋さんを重ね合わせながら、ああ、そうだ、私はこんな世界に生きていた、と思い出す。自分の中にしまい込んでいた記憶が、みんなの言葉や思いで、輪郭を取り戻した。
お別れ会は、懐かしい顔、顔、顔。会いたかった人、人、人。みんなが涙しながら、笑顔で再会した。ポレポレ坐全体が大きな温かさで包まれた。それは本橋さんそのものだった。
ポレポレタイムス社で働くかどうかで、本橋さんに会いに行った時、それまで伏し目がちだった目が、突然こちらを射抜くように向かってきて、「君は何をしたい人なの?」と聞かれた。迷走真っただ中だった私は、ここで気後れしてはいけないと冷や汗をかきながら「何がやりたいのかわからなくて探しています。でも何かむしょうにやりたいんです!」と力を込めて言うと、本橋さんは「お金は大してないけれど、ここには面白い人がいっぱい集まってくるから、色々な人を紹介できるよ。僕と一緒に探していきましょう。」と言ってくださり、ポレポレタイムス社で働き始めた。25年前のことである。
本橋さんに出会っていなければ、私は映画を作ることはなかった。今、ここに立っていることもなかった。この世界がこんなにあったかくて、やさしくて、たまらなく面白いということも知らなかった。
私は本橋さんの言葉通り、たくさんの素晴らしい出会いをいただいた。それは本橋さんがよく言っていた、まさに遺産相続だった。
本橋さんと出会い、共に映画を作れたことは、私の人生最大の幸運だった。
お別れの会に出席がかなわなかったみなさま、ぜひ今度、本橋さんのあんな話、こんな話をしながら、一杯飲みましょう!
お別れの会の写真を一枚も撮っていなかった。(きさらちゃんと同じ!)26年前、『ナージャの村』リバイバル上映のあと、遊山楽で初めて会ったときにいただいた名刺を、ずっとお守りにしてきた。本橋さんの字が大好きだった。
これからも私は、このあったかくて、やさしくて、めちゃくちゃ面白いこの世界で生きていく!
本橋さん名刺
本橋さん文字
精肉店撮影記念写真