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「全体を学ぶ学校」開講のお知らせ

私にとって、中学1年で自由学園に入った時から、「全体性」ということが、自分の中の大きなテーマになってきた。自由学園では、500人(当時は)の生徒たちが、みんなで役割分担しながら、自労自治の生活をしている。日々いただく食事は、生徒の中の誰かが作った野菜であり、それをまた違う誰かが料理をし、後片付けし、そして明日はその仕事が自分にも巡ってくる。食事の下に敷かれているテーブルセンターは、高校2年の誰かが刺繍したものだし、学園内がきれいに掃き清められていれば、それはその場所が自治区域だった誰かが労苦した成果である。自分が身を置くこの世界は、常に自分以外のものと有機的につながっていて、日々そのつながりの中で営みを繰り返していくことが生活なのだ、という実感を得た。8年間の学園生活の中で、その全体性を具体的な事象の中で捉えていく、という感覚を身につけたように思う。

自分が自分であるのは、常に〝何か〟や〝誰か〟との関係性の上にある。自分という存在は、固定化したものではなく、環境によって、或いはその時の関係性によって、常に変化していく。人をある一面で捉えるというよりも、その存在の全体を認識していく。そういうことに、私はとても興味を持っている。

映画製作をするようになってからも、この全体をいかに映像として掴めるのか、ということが常に私の中の課題になってきた。限られた時間の中では、映像として一部を切り取らなければいけないわけだが、その一部から全体を感じてもらうにはどうしたらいいのかをひたすら考え続けてきたように思う。

時代の流れは、様々な分野で、分業化、細分化の方向へ進んでいる。でも、パーツを組み立てて時計は作れても、パーツを組み立てて人間は作れない。有機的な営み、いのちは、パーツ、パーツだけでは捉えられない。それが、今の社会ではますます欠落していく。全体を捉えようとするとき、それは決して可視化できないもの、この世界を動かす見えない力を読み取る、ということでもあると思う。

そんなことを、アースマンシップの岡田さん夫妻と会うたびに話してきました。そしていよいよ、今年度から、アースマンシップの「全体を学ぶ学校」が開講します。
第1回目となる今回は、私もお話をさせていただきます。GWの美しい季節、ぜひ武川にお出かけください!

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